WUZIQI — 五目並べ
美しさ、それ自体が理由
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棋史・プログラム

プログラムはいかに先手有利を証明したか

ある古い論文は、五目並べを「みんな黒が有利だと思っている」段階から、「プログラムで証明できる」段階へ押し上げました。Victoria という名のそのプログラムで本当に興味深いのは、脅威の読みを検証可能な証拠へ変えた点です。

静かな盤面と古いコンピューターが、五目並べの証明史における一瞬を記録しています。
静かな盤面と古いコンピューターが、五目並べの証明史における一瞬を記録しています。

五目並べには、かなり断定的に聞こえる言葉があります。空の盤から始めるなら、黒は勝てる、というものです。初めて聞いた人の多くは、それを昔の強い打ち手が茶卓のそばで残した判断のような、一種の伝説として受け取ります。けれどそのプログラムは、別の書き方をしました。経験を検証可能な勝ち筋へ分解し、機械が実行できる手順の中に置いたのです。

先手有利はもともと共通認識にすぎませんでした

五目並べのルールは単純で、先に一直線に石を並べた人が勝ちます。単純だからこそ、黒が先に一手打てることの重みは大きくなります。先に中央を取り、先に脅威を作り、先に相手に応手を迫れるからです。日本のプロ級の打ち手たちは早くから Go-Moku は先手勝ちだと考えていましたが、コンピューターによる証明が現れるまでは、それは主に高度な経験に基づく判断でした。

もちろん経験には重みがあります。問題は、経験だけではあらゆる反撃を尽くせないことです。白に見落とされた防守の道が 1 本でも残っていれば、「黒必勝」はまだ完全には着地していない言葉です。このプログラムの価値は、まさにその隙間から現れました。

盤面の上に淡い墨の分岐経路があり、脅威線がしだいに検証可能な一本道へ収束していく
証明は盤を最後まで埋める必要はありません。十分な脅威の経路を、逃げ場のない形へ収束させることが目的です。

プログラムは何を証明したのでしょうか

1993 年、L. Victor Allis、H. J. van den Herik、M. P. H. Huntjens は『Go-Moku Solved by New Search Techniques』でこのプログラムについて述べました。論文の要旨はとても率直です。横置きの 15×15 盤において、Go-Moku は先に打つ側の勝ちが決まっているゲームだ、と書かれています。

ここでいう「証明」は、プログラムが強く打てると誇るものではなく、対局の勝率を記録しただけでもありません。より近いのは、再確認できる結論です。黒を持って先行したとき、相手が最善に抵抗しても必勝の道筋を見つけられる、ということです。言い換えれば、黒の有利は感覚から、木構造上のノードと分岐へ変わりました。

盤全体を力任せに探索したわけではありません

15×15 の交点をただすべて展開すれば、探索はすぐに爆発します。このプログラムの要点は「たくさん計算する」ことではなく、「先にどこを計算すべきかを知る」ことにありました。使われた技術は 2 つです。脅威空間探索と証明数探索です。前者は攻撃側にとって本当に意味のある連続した脅威を拾い出し、後者は形式的な確認が必要な部分を補います。

Darse Billings は 1993 年の要約で、Go-Moku の解木には 138,790 個の局面が含まれると述べています。また、「長連は勝ちではない」というよくある別ルールでは 153,284 個のノードが必要でした。これらの数字は今日の感覚では驚くほど大きくありませんが、よい探索は力任せで勝つのではない、と教えてくれます。複雑さを、最も調べるべき場所に置くのです。

よい読みは、まず盤面を小さくします。

なぜ脅威空間は五目並べに向いているのでしょうか

五目並べの攻めは、「次の一手で勝つ」だけではありません。むしろ多いのは、「この一手で相手に応手を強いる」形です。活三、四追い、連続した強制応手は、相手の選択肢を狭めていきます。脅威空間探索は、まさにこのリズムに沿って働きます。まず攻撃線を見て、防守側が必ず答えなければならない点を考慮に入れていくのです。

これは人間の検討にもよく似ています。盤上の空点すべてを同じ候補として見ることはありません。まず、相手に応答を迫る手段がどこにあるかを見ます。違いは、人間は見落としますが、プログラムはその見落としのリスクをもう一層の探索で補おうとする点です。その美しさは、ちょうどこの 2 つの間にあります。

証明はルール論の語り口を変えました

自由な五目並べで先手が勝てると証明されると、多くのルール設計は単なる「面白くするため」の工夫ではなくなります。禁手、開局制限、Swap2 のような仕組みは、いずれも先手有利への異なる修正と見ることができます。黒に制約を課すものもあれば、双方に色を選び直させるものもあり、初手周辺の責任を配置する側へ渡すものもあります。

これは連珠や現代の競技ルールの土台にある背景でもあります。ルールは、単純なゲームに複雑な飾りを足しているのではありません。できるだけ棋感を残しながら、序盤の不均衡を、競技として成り立ち、学ぶことができ、長く遊べる範囲へ押し込んでいるのです。

普通のプレイヤーには何の役に立つのでしょうか

その解木を暗記する必要はありません。普通のプレイヤーにとって最も役立つ示唆は、「脅威」を 1 つのきれいな着点ではなく、一連の問いとして見ることです。一手ごとに、こう問いかけます。もし相手が必ず答えなければならないなら、その応手は何通り残っているのか。答えが多いなら、その手は見た目がよいだけかもしれません。答えがしだいに少なくなるなら、そこで初めて計画は形になり始めます。

練習:負けた対局を振り返るとき、まず「どの一手が悪かったか」を探すのではなく、相手に守りを強いた着点を 3 回連続で印を付けてみてください。見つからないなら、問題は読み抜けとは限りません。攻めが最初から本当にはつながっていなかった可能性が高いです。

プログラムによる証明にも範囲があります

この証明が対象にしたのは、特定のルール下の Go-Moku です。すべての連珠、すべての開局ルール、すべての変種がまとめて解かれたわけではありません。ICGA の整理でも、Connect Five、Go-moku、Renju、Pente などを同じファミリーに置きつつ個別に説明しています。小さなルールの違いが、対局全体の数学的な形を変えるからです。

ここは大切です。「五目並べは解かれた」という言い方は粗すぎます。「一部の一般的な Go-Moku ルールでは、先手勝ちが証明されている」と言うほうが正確で、ゲームそのものへの敬意もあります。静かな結論のほうが、大きな言葉よりも長く残るものです。

証明は盤の背後に置いておく

今日あらためて五目並べの盤を開いても、それが隣に立って「黒は必勝です」と教えてくれるわけではありません。むしろ背景知識の層に近いものです。このゲームにルールが必要で、開局設計が必要で、気持ちよくもう一局やり直せる仕組みが必要なのは、最も単純な形がすでに十分深く見通されているからです。

よい盤は、証明を見せる必要がありません。石を置くときに、どこから圧力が来ているのか、選択肢がどこで狭まっているのか、次の一手で本当に局面が静かになるのかを、はっきり感じさせてくれればよいのです。

証明は背後にあり、棋感は手の中にあります。

読み終えたら、WUZIQI で一局どうぞ。